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中国 |
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町のイチゴ売り |
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707年、インドから経典を持ち帰った義浄のために建てられた、という小雁塔。夕方、ということもあったのでしょうが、観光客がほとんどいない境内は静まり返って良い雰囲気です。その静けさを破るのは、子供達の遊ぶ声と新婚カップル撮影隊。おめでたいことで微笑ましいのですが、ここは、という撮影ポイントで数組が交替で被写体になるのですから、こちらも待ち時間が多くなってしまいました。
緩やかなそのカーブは(直線的な大雁塔と比べて)女性的 ? |
804年に唐に渡った空海は、都長安に直行。当時最大の修行の場だった清龍寺の、密教第七祖恵果に師事します。空海は密教だけでなく、道教・薬学・音楽・書法に灌漑技術まで学んで、帰国後日本に多くの恩恵をもたらしました。それだけのことを吸収したのだから、さぞ長く清龍寺で学んだのだろう、と思いきや。たった数ヶ月の滞在だったとは ! さすが天才は違います。
密教第七祖の恵果と空海(第八祖) 1982年、廃寺になっていた清龍寺跡は整備され、記念堂や記念碑が建てられています |
かつての玄宗皇帝の宮殿、興慶宮が公園となっていて、その一角に"阿倍仲麻呂歌碑"、なるものがあると知り清龍寺からタクシーを飛ばしました(私は急いで、とは言ってないんですけれどね)。歌碑は園内の東南、南門を入って右に少し歩いたところに日差しを一杯に浴びてたっていました。
仲麻呂の歌碑を見て、ここにきた目的は達しました。気力が余り残っていなかったので、池に橋がかかっていたらそこを渡って帰ろう、と場所確認のため近くの塔に登りました。そしたらまあ、この広い池のどこにも橋がないではありませんか。つまりショートカットはできない、ということです。山登りで、「頂上!」と思って行ってみたら前山で、まだその先があった時のように、ドッと疲れが出てしまいました。 |
東西3.8km、南北2.8km、今に残る中国の古代城壁としては最も大きく、保存状態も良い、と言われる西安の城壁。唐代の城壁を基礎にして明代(1370〜1378年)に造られたものだそうです。日本のお城の石垣のイメージで登ってみました、あらビックリ。上部は中天のハイウェイのように、広くて(幅15m)快適な石敷き道路になっているではありませんか。かつて兵士達が走り回った石畳の上を現代では、観光客相手のトラムカー(かな?)が各城門を結んで走っていました。
西門"箭楼"から中庭を挟んで、内側の"城楼"を見る 四方に残る城門は一重ではなく、中庭を挟んで外側に弓矢櫓(箭楼)、内側に司令塔(城楼)、という二重構造になっていています。中庭はすり鉢の底状で、ローマーの闘技場コロッセオで感じたような、「逃げ場のない」空気が充満しています。これで周囲から矢を射掛けられたらひとたまりも無いでしょう。でも、用途はどうであれ、機能を追及して生き残った建造物は、端正で美しいものですね。 この日は閉門時間が過ぎているのに、入れてくれて「変だな?」と思っていました。しばらくすると理由がわかりました。観光バスが着くと同時に日本からの観光客が吐き出され、「ここがシルクロードの入り口か」と異口同音につぶやきながら、バシャバシャとシャッターを押し、一陣の風のように去っていきました。日本人は(私も含め)シルクロードに、特別な感慨を抱いているようですね。それって何なのでしょう。 |
どのガイドブックにも「列車のチケット、特に硬臥(2等寝台)は入手しにくいので、早めに手配のこと」と書いてあります。旅行社に頼めば何とかなる、と思っていたのですが、成都では4日前でも取れなかったので今回は少し慎重になりました。できたらここ西安で、西安〜洛陽〜上海の予約をしておきたいとCITSに行くと「14日の西安〜洛陽は手配できるが、18日の洛陽〜上海は洛陽でないと予約できない」と言うのです。
金7元なり(約95円)のこの時刻表、西安駅構内の売店でやっと手に入れることができました。なんだかんだで半日つぶれましたが、本数は少ないけれど他にも便があることも判りました。駅の下見もできたことだし、まあ良しとしましょう。それで上海行きのチケットはどうなったの、ですか? 洛陽で手配できない場合は飛行機・バスを乗り継いでも良い、と頭を切り替え洛陽に向かうことにしました。判らないと不安だらけですが、情報が入ると決断もしやすい。「知は力なり」ですね。 |
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